韓国体育の独特な環境と時代精神を反映できない組織文化が決定的な理由だ。
女性はスポーツの堂々たる主体だが、韓国ではそうではない。女性のスポーツ活動への参加が格段に後れているからだ。
すべての問題はここから始まっている。女性スポーツ関係者らは、男性優越主義に傾倒した指導者と、水平的関係ではない垂直的なヒエラルキーに編入され、男性の権力と権威に従属する悲しい現実に直面することになる。
ここに儒教文化圏の伝統があるせいで、指導者の不合理な指示と訓育に対しても、自律的主体として堂々と問題を提起することもできない。
権威的な男性指導者とか弱い女性選手の関係が、主・従の権力関係に拡大しているのが、韓国女性スポーツの悲劇的な矛盾構造だ。
選手と指導者の垂直的なヒエラルキーは、真実を明らかにし正義を貫くうえでも障害になることがある。被害にあった女性選手たちは男性の権力に押さえつけられ、真実の後ろに隠れる習性が癖になった。
さらに、時には被害を受けた女性が加害者の男性指導者をかばう悲劇的なことも起こる。
女性選手に深い傷を負わせた男性指導者は、歪んだ社会がもたらした慣性によって地位を維持し、むしろスポーツ界に深く根を下ろすという不条理なことが起きたりもする。
真実と正義のために堂々と立ち上がれる女性の主体性の回復が切実に求められる。それがなされなければ、韓国女性スポーツの未来は暗い。