日韓の“ロッテ野球”を作った人物…スポーツ界から見るロッテ名誉会長の「存在感」

ロッテの創業者で、日韓でロッテグループの名誉会長を務めるシン・ギョクホ(辛格浩、日本名:重光武雄)が1月19日、この世を去った。享年98歳だった。

韓国プロ野球ロッテ・ジャイアンツの初代監督を務めたパク・ヨンギル元監督が、シン・ギョクホ名誉会長の思い出を語った。

現在、韓国経済史に多大な影響を与えた企業人の訃報に、政界・財界問わず、追悼の波が続いている。

【関連】韓国財閥グループの総帥が持つ株式財産を比較…サムスン会長は2兆円超え

スポーツ界も同じだ。

シン名誉会長が初代球団オーナーを務めたロッテ・ジャイアンツも追悼に参加した。フリーエージェント(FA)移籍したアン・チホンの入団式が1月21日に予定されていたが、電撃延期されている。

日本と韓国で“ロッテ野球”を作った人物

政界や財界で有名なシン名誉会長だが、スポーツにも大きな関心を寄せた人物ともいえる。特に日本と韓国で“ロッテ野球”の始まりを作った人物だ。

日本で1969年に東京オリオンズの後援を始めたシン名誉会長は、2年後の1971年に球団を買収し、ロッテオリオンズの発足を発表した。ロッテオリオンズは1992年、千葉に本拠地を移し、現在の千葉ロッテマリーンズになった。

ロッテグループ名誉会長シン・ギョクホ氏

韓国では1975年に実業野球団を創設し、野球との縁が始まった。実業野球に新鮮な風を起こしたロッテ・ジャイアンツは、1982年の韓国プロ野球発足と同時にプロ球団となった。ロッテ・ジャイアンツは、サムスン・ライオンズや斗山ベアーズとともに3チームしかない韓国プロ野球創設メンバーだ。

そんなロッテ・ジャイアンツの初代監督を務めたパク・ヨンギル元監督は1月20日、本紙『スポーツソウル』とのインタビューで、シン名誉会長の生前の姿を思い出した。

パク元監督は「シン会長は普段からスポーツにも格別の関心を見せた。特にチームではなく、ひとつの種目で著しい成果を残した選手たちに大きな関心を見せた」と振り返った。

力道山や張本勲への後援も

実際にシン名誉会長は、囲碁棋士のチョ・チフン、プロレスラーとして活躍した力道山、日本野球界のレジェンド張本勲や白仁天などを後援していたことで知られている。

パク元監督は「後援金の規模も当時としては相当だったことを覚えている。無一文で今のロッテグループを作った人ではないか。逆境を勝ち抜いて自分の種目で名前を知らせた選手たちを見ながら、自分の人生と似ていると感じて救いの手を差し伸べたのかもしれない」と話した。

ロッテ・ジャイアンツ初代監督を務めたパク・ヨンギル元監督

ロッテ・ジャイアンツ創設後、初代球団オーナーの座についてが、パク元監督とシン名誉会長の接点はそれほど多くなかった。実際の球団運営は、シン名誉会長の弟である当時ロッテグループ副会長のシン・ジュンホが担ったからだ。

「日本の野球を見て学べ」

それでもパク元監督は、シン名誉会長が多くの点でロッテ・ジャイアンツに心配りをしてくれたと説明した。

パク元監督は「韓国にプロ野球ができる前、シン会長が日本の野球を見て学べとしながら、私たちのチームを日本現地トレーニングに3回も招待してくれた。野球韓国代表チームの選手たちも、無料で日本のロッテのキャンプ地で練習した。シン会長がすべての費用を背負った。当時、日本のロッテにはチャン・フン(張本勲)や白仁天がプレーしていたが、シン会長は2人にも多くの助けを与えたと聞いている」と説明した。

最後にパク元監督は、「シン会長は球団運営に直接関与はしなかったが、常に関心を持って必要なときに手を差し伸べてくれた方」と、故人に向けた哀悼の意を表した。

前へ

1 / 1

次へ

RELATION関連記事

RANKINGアクセスランキング

PHOTO写真

TOPIC「BTS」特集