最初の指導者生活が韓国と日本どちらになるかはわかりませんし、できるかどうかも今はわかりませんが、いつかは日本で指導者生活をしたいですね。
また、これからの人生がどうなるかわかりませんし、今は仁川で最善を尽くすつもりですが、最後はまたJリーグを経験するのはどうか、とも思っています。いつか晩年は日本でもう一度プレーしてみたいですし、指導者のスタートも日本で経験できればと思っています。選手生活の最後、1年間でも6カ月間でもいいので、またJリーグでプレーしてみたいです。
以前までは自分一人で生活していましたが、今は大切な家族ができたので、日本での生活がもっと楽しくなるのではないかと思っています。仮にJリーグに戻るとして、どこのチームで、というのは決めていませんが、日本で家族と暮らしてみたいという考えは持っています」
―指導者と関連して、今のところ何か取り組んでいることはあるのでしょうか。
「ひとまず、選手生活が終わるまではプレーに集中することを決めました。韓国ではほかのことを考える時間があまりないので、選手生活に最善を尽くし、その後で指導者ライセンスなどを取得できればと思っています。元々は日本でライセンスを獲ろうと思っていたのですが、機会があれば日本に挑戦してみたい気持ちもあるので、今はそのような計画だけは考えています」
―過去に韓国メディアとインタビューを行った際には、行政分野(フロント)にも興味があるというのをお話していました。
「だからこそ、日本での経験がとても重要になると思っています。Jリーグのクラブはフロント業務などがしっかりしているので、たくさんファンも集まりますし、チームのグッズも多い。そのような点で韓国も学ぶべき点があると思っているので、どうすれば地域社会と一体となったクラブづくりをして、たくさんのファンをスタジアムに呼び込めるのか。こうした点をしっかり学んで、韓国で活かしてみたいという思いもあります。
Jリーグはファンのための活動が多いと思っていて、実際、クラブがグッズを販売するとファンはそれを購入しますよね。Kリーグでも各クラブでグッズのバリエーションが増えて、ユニホームの販売も多くなり、活動のアイデアも増えているので、以前と比べてかなり良くなっていると思います。なので、今後は地域社会の方々がより地元のクラブに愛情を注げるようなシステムを作ってみたいです。今もかなり良くなっていますし、日本のように本当に色々なことをしています。
初めて日本に行った当時は、ユースへの投資やサッカー教室、学校訪問などといった活動にとても衝撃を受けました。ただ、今振り返るととても新鮮な経験で、“衝撃”といってもポジティブなものでした。それに、今は韓国のチームもさまざまな活動をするようになったので、その点は日本からも多少学んだのではないかなと思っています。Kリーグも10年前と比べてたくさん変化しています」
―今季は『K LEAGUE TV』を通じて、日本でもKリーグの試合が観られるようになっており、Kリーグへの関心度も依然と比べて高まっていると思います。そんななかで、今シーズンの後半戦を戦う意気込みはありますか。
「チームが今とても良い成績を収めているので、自分もその勢いに続きたいと思っています。仁川の目標はクラブ初のACL(アジア・チャンピオンズリーグ)出場です。僕自身、名古屋時代にクラブとして9年ぶりのACL出場権獲得を経験したので、今季は仁川でACL出場権を獲得するというのが目標です」
―では、個人的な目標は何かありますでしょうか。