サムスン電子の半世紀を導いた3代のリーダーたち…“3者3様”の経営方式とは

2019年11月06日 社会 #サムスン

11月1日に創立50周年を迎えたサムスン電子。

それに先立つ10月30日、「サムスン開発者カンファレンス2019(SDC19)」では、世界初の縦方向に折りたためるスマートフォンが公開された。「ギャラクシーフォールド」に続く、もうひとつの革新的な製品といえるだろう。

【関連】サムスン電子が業況悪化、スマホの品質問題も浮上「緊張続く」

サムスン電子は、韓国はもちろん、世界市場で“超一流企業”と呼ばれる。

サムスンの世界市場シェア1位の製品は2012年基準で、半導体メモリ、デジタルTV、有機発光ダイオード(OLED)、携帯電話をはじめ、26に達する。サムスン電子は今年「グローバル100大ブランド(Best Global Brands)」で、過去最大の611億ドル、全世界6位を記録した。

サムスン電子のブランド認知度は、韓国の認知度ともつながる。特にサムスン電子出身者が韓国のさまざまな分野に進出し、韓国内の産業をリードしており、韓国社会を“サムスン共和国”と呼ぶこともできるほどだ。

サムスン先代会長「人材集めと教育に人生の80%を」

サムスン電子がこれほど早く国内のいたるところに人材を進出させ、グローバル企業として成長できたのは、スペックではなく能力で選ぶ“蕩平(タンピョン)人事”があったからだ。

サムスン電子は、外部人材の勧誘を果敢に行い、内部人材は成長させ、サムスンの主軸の役員に育ててきた。これはイ・ビョンチョル先代会長の時代から行ってきた経営方式としてよく知られている。

イ・ビョンチョル先代会長は「私は今まで自分の手で小切手や伝票に判子を押したり、物を直接買ったりしたことがない。判子を押してビジネスする人を探して、育てるのが自分の仕事だと考えたからだ。私の人生の80%は、人材を集め、教育するために使った」と話すほど、人材育成に力を注いだ。

イ・ビョンチョル先代会長

イ・ビョンチョル先代会長は、新入社員公開採用面接に直接参加するなど、人材への愛情が格別だった。当時、湖巌(ホアム)財団ソン・ビョンドゥ理事長は、毎朝イ・ビョンチョル会長に教育の現状を報告していたほどだった。イ先代会長は教育と人材育成に関心を注いだ。

またイ・ビョンチョル先代会長は、国内家電1位の企業であったLG電子(金星社)よりも10年遅れて電子産業に進出したが、「サムスンの未来を決定するのはハイテク産業」と半導体産業に進出する決断を下した。その結果サムスン電子は、1992年に世界初の64MB Dramを開発し、半導体メモリで世界1位となった。

1987年に就任したイ・ゴンヒ会長は、サムスン電子の“変化”を何度も強調した。

イ・ゴンヒ会長「妻と子供以外、すべてを変えろ」

イ・ゴンヒ会長は就任と同時に「第2の創業」を宣言し、「社長たちに経営を任せるから、私に報告せずに、自分たちでやれ」と“責任経営”を導入した。

当時イ・ゴンヒ会長は「先代会長は経営権の80%を握り、秘書室が10%、各系列会社の社長が10%を分けて行使していたが、私は今後、会長が20%、秘書室が40%、系列会社の社長が40%を行使する方式に変えたい」と語った。

またイ・ゴンヒ会長は「すべてを変えろ」と“新経営”を宣言し、「妻と子供を除いてすべてを変えろ」と強調しながら、既存のサムスンの意識とシステムを変えるよう指示した。

イ・ゴンヒ会長

新経営とともに、イ・ゴンヒ会長の責任経営も時間が経つにつれ、徐々に成果を見せていった。この間、会長がすべてを決めていた方式から、事業別の社長が中心となる体制がグループ内に定着した。この経営方式によって、サムスン電子はグローバル市場での人材の確保と意思決定を迅速に進めることができた。

しかしサムスンの“変化”にも試練は訪れた。イ・ゴンヒ会長は1998年の新年の辞で“常時危機経営”を宣言した。IMF金融危機による国内と世界的な景気低迷に対応するためだった。

常時危機経営を通じて、サムスン電子は組織を縮小し、将来を見据えた成長動力探しを積極的に行い、韓国財界1位の企業に成長した。

イ・ゴンヒ会長の不在中に登場したイ・ジェヨン副会長は、若いオーナーらしく、グローバルネットワークを通じた新事業探しに集中している。

現リーダー、イ・ジェヨン副会長の“手腕”は?

特に「選択と集中」「実用主義」などを押し出し、AI(人工知能)やバイオテクノロジーなどに果敢な投資を敢行した。イ・ジェヨン副会長は最近、日韓関係の悪化に伴う日本の輸出規制問題などで、“解決士”として登場しながら危機を突破する能力も示した。

これはイ・ジェヨン副会長のグローバルネットワークが基盤になっており、果敢な決断と推進力、迅速に動くことができる実用主義が背景にあるからという評価を受ける。

イ・ジェヨン副会長は就任後、化学系列社のビッグディール(大きな取引)を成功させ、デジタルカメラ事業は果敢に縮小した。

イ・ジェヨン副会長

また、ピョンテク半導体工場の増設や、最近ディスプレイに13兆ウォン(約1兆3000億円)の投資を決定するなど、“選択と集中”を通じた経営に乗り出している。

特にイ・ジェヨン副会長は、先代会長たちが慣行的に行ってきた仕事始めの行事をやらなかったり、毎月現場を訪れて社員とのコミュニケーションを増やしたりしている。また日本など近距離の出張には随行秘書を同行せず、あまり使っていない専用機やヘリコプターなどを売却した逸話も有名だ。

サムスン電子には創立以降、チャンスと危機が何度も訪れた。

イ・ビョンチョル先代会長は誰もが反対するなかで半導体産業に進出しており、イ・ゴンヒ会長は製品の品質を一段階引き上げ、グローバル市場でサムスン電子の地位を確固たるものにした。

そしてイ・ジェヨン副会長は、父イ・ゴンヒ会長の後を継いで4次産業にふさわしい新しい成長動力といえるAIやバイオテクノロジーに集中して、新たなサムスンを夢見ている。

いずれにしてもサムスン電子は今後も、オーナーのリーダーシップと専門経営者の力によって、次の50年も韓国産業はもちろん、世界経済をリードしていくことだろう。

前へ

1 / 1

次へ

RELATION関連記事

RANKINGアクセスランキング

PHOTO写真

TOPIC「BTS」特集