「私は運がよく、本当に幸せな選手生活でしたね。もともと大きな夢を抱いていたし、その夢を実現させようと努力もしたし、自信もありましたが、優勝したり記録を作るたびに“本当に私が成し遂げたのか”と信じられなかったこともありました。
運が良かったと思います。というのも、“ドリーム・カム・トゥルー”とはいいますが、誰もが夢を実現できるわけではないじゃないですか。私は運良く夢を実現できた。それに尽きます」
―ただ1998年当時は、アジア人がアメリカで大活躍する姿など誰も想像していなかったと思います。アメリカで成功できた理由はなんだと思いますか。
「小学生のときにゴルフを始めたときから、その時点で目指せる“最高”になりたいという願望が強ったんですね。アマからプロ、韓国からアメリカへと舞台を移したのもそんな気持ちに駆り立てられたから。
アメリカに行ったのも“経験したい”、“腕試しがしたい”というものではなく、世界的な選手たちと真剣勝負をして真のチャンピオンになりたかったから。そのひとつの目標だけを持って挑んだことが、成功要因になったと思います」
―その夢は1998年全米オープン優勝で実現するわけですが、その後も持続的に結果を残せた理由は何でしょうか。
「情熱ですね。ゴルフが大好きでしたし、“最高になりたい”ということに一切妥協もできませんでした。そのために自分のすべてを投じることができたし、すべての生活パターンがゴルフのためでした。そういう惜しみない犠牲があったから夢も実現できたと思います」
―まさにゴルフに純粋な情熱を注いできたわけですが、現在の女子ゴルフ界をどう見ていますか。
「とても発展、成長、レベルアップしましたよね。それは韓国だけに限った話ではありません。日本、中華圏、東南アジアなど、アジア全体の女子ゴルフが飛躍的に発展したと思います。それは米国女子ツアーに出場しているアジア人選手の数の多さにも表れていますよね。アジアの女子ゴルフはとても将来性があり、有望なのではないでしょうか。
韓国はわずか20年足らずのスピードで急速に力をつけましたが、韓国だけではなく、アジア全体の女子ゴルフが発展し、“アジアが世界のトップだ”とされるような時代が来ることが、私の今の夢でもあります」
―ただ、今年5月にはタイガー・ウッズの元コーチが、アメリカで活躍する韓国人選手の多さを皮肉るようなコメントを発して物議を呼んだこともありました。
「あのコメントは良くないですよね。米国女子ツアーという最高の舞台で一番になろうと、すべての選手が努力し、フェアに戦いながら、それこそ“善意の競争”を展開しているわけで、そうした女子ゴルフに携わるすべての選手・関係者への敬意と尊重を欠いたコメントでした。
他人を敬いリスペクトしてこそ、彼もコーチとしてリスペクトされるわけじゃないですか。あの発言はプロらしくないものでした」
―夢と情熱とリスペクトが大事だということですね。
「ええ。そういった話を後輩たちにも良くします。私が現役時代に経験して感じたことも、機会があればよく話すようにしていますよ」(つづく)
(文=慎 武宏)