小平奈緒との抱擁で話題を呼んだイ・サンファが「引退会見」で語ったこと

彼女は引退に関する記事が出て、初めて知った。本当にびっくりして「冗談ではないか、間違ったニュースならいいのだが」と言っていた。状況を見ようと一段落させたが、記者会見で引退を伝えることになった。

奈緒とは縁が多い。韓日親善試合をしながら知り合い、大変なときはお互い助け合った。まだ奈緒は現役だ。トップの座を守るために、あまり欲を出さず、今までやってきたようにだけやってと言いたい。長野に遊びにいくと言ったら、いつでも来いと。近いうちに訪ねる予定だ。

―両親はなんとおっしゃったか。

ずっと運動することを願っていたようだ。引退する日にちが決まった後も、くよくよしそうだったので、伝えなかった。私と同じくらい寂しがっている。「しっかりやってきなさい」と言ってくれたが、その一言に寂しさが残っていた。毎年、冬になれば娘の試合を観ていたのに、それがないので。少しずつ癒してあげなければならない。

―指導者になる考えはあるか。

引退について考えたのは、今年に入ってからだ。今から目標を立てていく段階。人気のない種目として消えていくのは、とても惜しい。後輩たちのために、いつか指導者になることもあるかもしれない。まず現在の状況を整理しなければならないだろうが、意向は十分にある。

―引退することになって、最も心残りなことは?

冬に成績を上げるためには、夏にハードなトレーニングをしなければならない。ソチが終わってカナダで一生懸命トレーニングをした。練習のときの楽しかった出来事が思い出されて、心残りだ。

―ファンにはどう記憶されたいか。

平昌五輪が終わって「生きる伝説」として覚えられたいと伝えた。それは変わらない。短距離にこんな選手がいなかったし、その記録はまだ破られていないと覚えていただければ。常に努力をして、不可能を可能にした選手だったと記憶されたらうれしい。

―2020年北京五輪が開催される時期には、何をしていると思うか。

選手だったらプレッシャーがあったと思う。いつも1位を取るイメージだったようだ。2位になると、罪を犯す気分だ。だから平昌五輪もとても大変だった。北京でも優勝できなければ、同じようだったろう。準備過程も、今より難しかったはずだ。引退したが、当然行くことはできる。解説委員として行くこともできるし、コーチになって行くこともできる。

―最も記憶に残る試合は?

2015-2016シーズン、中国の選手が500mの強者に浮上した。“韓中戦”というタイトルがついた。交互に1~2位を繰り返した。世界選手権で1位になるという気持ちで臨んだ。最後には、優勝をした。その時と、平昌五輪の“韓日戦”が最も記憶に残る。

2018年2月18日、江陵スピードスケート競技場で開かれた平昌五輪の女子500mで銀メダルを取ったイ・サンファ(左)を金メダリスト小平奈緒が抱擁している

―感謝を伝えたい人が多いだろう。

小学生のときから国家代表まで、助けてくれたコーチや先生はもちろん、韓国代表になったあとも見守ってくれた方が多い。ソチから平昌まで一緒に過ごしたケビンが記憶に残る。カナダに訪ねにいきたい。その他にも多くの先生たちに会い、感謝の言葉を直接伝える予定だ。

―世界記録はいつまで守られたらいいか。

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