試合後、日本代表は東京ドームに駆け付けた大観衆とともに準決勝進出を盛大に祝った。栗山英樹監督は壇上に上がり、野球ファンたちに感謝の言葉を伝えた。その後、チームはWBC組織委員会が準備したチャーター機に乗ってマイアミへと発った。
日本の意欲的で力強い行動は、過去の失敗から始まった。最精鋭のメンバーを擁しながらも、大会中2度の“日韓戦”でいずれも敗れた挙句、屈辱のノーメダルに終わった2008年北京五輪がそのスタート地点だ。
2006年WBCの優勝に酔いしれていた日本球界は、北京五輪の失敗で再び反省し、初心に戻った。自らを打ち負かした韓国の情熱に覚醒したというわけだ。
その後、2009年WBC優勝、2013年WBCベスト4と世界トップ圏内を突き進んだ日本は、「野球日本代表マーケティング委員会」なる組織を創設。日本野球機構(NPB)は全日本野球協会(BFJ)と手を組み、プロ代表と世代別代表を統括、体系的に管理し始めた。
日本代表に「侍ジャパン」というネーミングがつけられ、本格的に使用されるようになったのもこの時期だ。小久保祐樹や稲葉篤紀など、球界レジェンドが専任監督を務めるようになったのも2013年が始まりだった。
「侍ジャパン」という名称が誕生し、体系的な管理が行われるようになったことで、日本球界が強豪の位置から降りることはなくなった。
オフシーズンには着実に代表選手を招集し、MLBオールスターとの親善試合やオーストラリア、オランダ、台湾、カナダなどとの定期的な強化試合を行い、国際大会の経験を積んだ。
世代交代の好循環も、その過程で自然に行われた。結果、2017年WBCベスト4、2019年WBSCプレミア12優勝、2021年東京五輪金メダル、そして今回のWBCベスト4進出と、近年の国際大会で好調を維持している。
日本の選手にとって代表は羨望の的であり、誇り、自負心だった。
今大会最年長のダルビッシュ有(36、サンディエゴ・パドレス)は、WBCのために所属するパドレスの春季キャンプにほとんど参加せず、代表に合流した。事実上、最後の舞台となる国際舞台のために総力をつぎ込んでいる。
オリックス・バファローズからボストン・レッドソックスに5年9000万ドルで移籍した吉田正尚(29)、メジャーリーグのデビューシーズンを目前に控えてWBCに臨んでいる。メジャー初年度なら春季キャンプに参加してチームに適応すべきところを、吉田は強い意志で日本代表に合流している。
日本代表は、選手たちにとってこれだけ重要な存在であり、誇りと思われるほどの地位を築いている。
韓国代表にも栄光の時代はあった。もしかすれば、「侍ジャパン」の誕生以前が韓国野球の頂点の時期だったかもしれない。