韓国代表の日韓W杯4強に貢献し、Jリーグでも指揮を執ったピム・ファーベークさんがこの世を去って6年が経った。
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ファーベークさんは2019年11月28日、がん闘病の末にこの世を去った。63歳だった。
当時、韓国サッカー協会は「ピム・ファーベーク氏の永眠の知らせに、韓国サッカーの輝く瞬間が次々と思い浮かんだ。そのすべてが彼とともにしたからこそ可能だった」とし、「韓国サッカーの英雄、ピム・ファーベーク氏。本当にありがとう」と追悼の意を表した。
日本でも、過去に同氏が監督を務めた大宮アルディージャ、京都サンガF.C.が訃報に際して哀悼を示していた。
1956年3月12日生まれ、オランダ出身のファーベークさんは母国での監督業を経て1998年に来日。同年シーズン途中に大宮の監督に就任し、翌1999年まで率いた。
大宮を退任後はフース・ヒディンク監督体制だった韓国代表でコーチを務め、2002年日韓ワールドカップのベスト4に貢献。大会後はヒディンク監督とともにPSVアイントホーフェンへ移ると、2003年は京都、2004年はオランダ領アンティル代表で監督を歴任した。
その後、ボルシア・メンヒェングラートバッハやUAE代表のコーチを経て、2005年にディック・アドフォカート監督のもとで韓国代表アシスタントコーチに就任。2006年ドイツワールドカップ後に監督へ昇格したが、通算17試合で6勝6分5敗。2007年アジアカップでは3位決定戦で日本をPK戦の末に下すも、大会を終えて辞任を表明していた。
以降はオーストラリア代表監督やU-23モロッコ代表、オマーン代表の監督を務めていたなか、オマーンをベスト16へ導いた2019年アジアカップの大会直後に辞任。しばらくしてがん闘病の事実が明らかになったが、惜しくも天国へ旅立った。
前出の通り、ファーベークさんは日韓W杯4強に貢献した人物として、現在も韓国サッカー界で語り継がれている。2002年6月に大田ワールドカップ競技場で行われた韓国代表対チリ代表の親善試合では、ユ・サンチョルさんやファーベークさんら韓国サッカー界に貢献した人物を追悼する意味のコレオグラフィーが掲げられ、話題を集めていた。
(文=スポーツソウル日本版編集部)
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